華麗なる一族に引き続き、不毛地帯も観ました。
こちらも名作。さすが主演、唐沢寿明。すさまじい演技でした。
16話の、シベリア渡航をしぶる唐沢の演技は、歴史に残る名演技と言えるでしょう。
フジテレビが白い巨塔につぐヒット作にしようと、山崎豊子さん×唐沢寿明さんのタッグで意気込んで作られた作品でしたが、残念ながら視聴率自体は、低迷。
ですが、”名作なのに視聴率低迷”の背景にある理由を知ることで、どうやって作品作りをすればいいか?を学べます。
学びだけ見たい方は、もくじより後半の”改善点もある。外野がそれを考えることの意味”をクリックしてご覧ください。
ただ、初見の方がほとんどだと思いますので、前半で背景となる物語についても解説するので、そちらもあわせて読んでいただけると。
名作でありながら、世の中に知られていない本作と、白い巨塔や半沢直樹などの大ヒット作を比較することで
よいコンテンツでありながら、人々に届かない作品と、
よいコンテンツであり、かつ人々に届く作品との違い
を知ることができます。
とはいえ、人生観を深める素晴らしい作品だったので、ぜひ届いて欲しい。
また、人生にどうやって活かしていくのか?という点にいたるまで解説していきます。
不毛地帯のあらすじ。舞台やモデルとなった人物
舞台は、戦後の総合商社、伊藤忠商事。(作品内では関係ないと言っていますが、明らかに参考にされています)
モデルとなった人物は、伊藤忠商事で会長職にまで登りつめた瀬島龍三。本作では瀬島を、唐沢寿明が壱岐 正(いき ただし)を演じます。
とはいえ、完全にその人そのものを追いかけたストーリーではなく、創作もありながら、話は進んでいきます。
彼はもともと軍人ですが、いかにして畑違いの総合商社で成り上がっていくのか。
近畿商事はどのようにして、壱岐とともにその勢力を拡大してきたのか?
航空機、相場、石油などさまざまな戦いにおいて、勝利をどのようにして収めるのか?
こういったところも見どころです。
高度経済成長期の企業がどのように立ち回り、日本を再興してきたのか?
大義を持ったビジネスマンとはどうあるべきか?を強く突きつけてくれる作品です。
シベリア抑留での凄まじい体験
壱岐は戦時中、軍の作戦本部にて日本がどうしたら戦争に勝てるか?を計画しますが、第二次世界大戦において敗戦。
その敗戦処理などをするため、ソ連にわたり、天皇陛下が戦争の主犯であるという証言を取りたいロシア側の意図を無視して「軍が勝手に起こした戦いだ」と主張する壱岐。
その後、壱岐はシベリアにて、11年間の重労働をさせられます。その苦労たるや、想像を絶するものです。
ちなみに、こちらは史実とは異なる、という意見も多数ありますし、僕も認識しておりますが、あくまでこのドラマの解説として話します。ドラマからも十分すぎるほどに学びを得られます。
実際に僕たちが何を学び、どう活かすのか?そちらの方が重要だと考えるからです。
マイナス40度とも60度とも言われる、ブリザードが吹きすさぶ極寒の地にて、着の身着のまま毎日、死ぬ寸前まで働かされる。
毎日凍えながら、木の伐採や鉄道建設などの強制労働に駆りだされました。過酷な労働でありながら、貧しい食事で栄養失調になる人も多く、6万人が死亡したと言われます。
わずかなパンにスープ、塩や砂糖という、ごく少量の食事だったと言います。
つねに空腹に耐え、夏場になったら野草をとってスープにして、飢えをしのぎ。
実際に食事をしながら亡くなってしまう方もいたり、さながら地獄だったようです。
こうした極限状態の経験をしても、壱岐は「生きて帰りたい」という強い意志を持ち、11年の抑留生活のすえ、帰国します。
帰国後、商社マンとして活躍
前置きが長くなりました。
帰国してしばらくして、同じ抑留生活を強いられた仲間たちの就職のあっせんをし終えると、壱岐は総合商社に入社します。
そこから航空自衛隊の次期戦闘機選定争いの仕事で、腕をふるうことになる。
壱岐自身はもう2度と、国防に関わりたくない。という思いを持ちますが、国を守るため、性能が高い戦闘機を国防省にどうしても納品したい。という社内外の思いに押されて、これまでの防衛省内で築いた人脈をつたっていき、なんとか受注にこじつけます。
このような、個人的な思いとは裏腹に、国益のため、大義のために動く人物として描かれていることが、壱岐 正という男の魅力を引き上げます。
日米の自動車会社の提携のために動いたり、中東での石油採掘プロジェクトにも携わっていきます。
時にはこの仕事の意義はなんだ?と分からないまま、いずれ国益につながるはずだ。と動き続ける壱岐。
どんどん手柄を立てる壱岐にたいして、最初は快く思っていた社長も、次第に自分の地位を脅かすようになるのでは、と焦りはじめます。
しだいに仕事のほとんどを壱岐に奪われるようになった社長は、相場師のようになり、そこに自分の居場所を探します。
見習い商社マンとして育てていたはずの壱岐が、いつの間にか自分を超えてしまっていたのです。
そして、大門社長は自身の老いもあいまって、相場での判断を何度も見誤り、巨額の損失を出します。
一方で苦労しながらもイランでの石油採掘に成功した壱岐は、
相場で大損を出していた社長の大門に勇退を進言し、大喧嘩するも、退職させることに。
君が社長になりたいんやろ!そのために辞めさせるんやろ!と社長に何度も言われるが
これに対しては自身も退職するという捨て身の攻撃で、説得。
これは言わば日本でのビジネスマンとしての育ての親を自らの手で葬るような行為です。
ですが、これも大義あってのこと。このシーンからも学べることがあります。
ビジネスマンとしての引き際、大門社長の一時代を築いたからこその孤独、その引導を自分が渡すしかないという壱岐の悲しみ。
会社のため、未来のためには、今ここで社長を退陣させなければ、とんでもないことになると判断して、壱岐はこのような苦渋の決断をします。
副社長である里井と壱岐、
社長である大門と壱岐の関係のように、
常に壱岐は地位を脅かす対象として見られ、ライバル視されます。
しかし、より大局的な視点を持っているため、結果的に、これらを一蹴します。
こうした人間同士の戦いが、不毛地帯の魅力の1つと言えるでしょう。
改善点もある。外野がそれを考えることの意味
見どころが十分にある人間ドラマ”不毛地帯”。
ただ、こういうところ変えるとさらに良かったなーってところもありまして。
視聴率低迷っていうのは、結果論ではありますが、後から外野がこういうことを言うなんて、なんとでも言えるって話だと思いますが、同じくストーリーを作ったりする人間としては、このシミュレーションってすごい重要でして。
実は僕は自分が観た作品においては、こうした改善がどうすればされるのか?を毎回考えています。
特に作品においては、興味を持ってもらえなければ、存在すらしていないのと同じです。
もちろん限られた予算、放送回数の中で、最大限の努力をされていることは理解していますが、
こうした歴史的にも意味のある作品がもっともっと世に知られるためにはどうすればいいか?を考えることはとても重要なことなのです。
たとえば、、、
壱岐みたいな完璧人間は共感しづらい、というのはあります。
つまり抑留されたことによる超人的な精神力で、
なんでも乗り越えてしまうような人間だとして描かれているんですね。
あの頃より苦しかったことはないよ。だから何でもやってやるよ。という。
これでは、一般の視聴者は共感できないし、
主人公にたいして自分の投影ができないのです。
一方で白い巨塔や半沢直樹はどうでしょうか?
白い巨塔であれば、主人公の財前は、ある大学病院の助教授であり、外科医としての腕は一級品。
シンプルに出世を狙っています。
大雑把に言ってしまうと、腕がいいから出世させろ!をゴリ押ししていくキャラなのです。
教授戦がうまくいかないと、感情を爆発させ、時には人に頭を下げながらも、教授になっていく姿は、
一般的な「自分だけはいい人生を送りたい」という気持ちや人間の本質に近いものがあり、共感しやすいです。
また同様に、半沢直樹も
職場のイヤなやつを痛快に倒していく=土下座させる
という構図があって、分かりやすい。
小ボスが土下座(解放による快感)
小ボスが土下座(解放による快感)
小ボスが土下座(解放による快感)
大ボス=香川照之が土下座(解放による快感)みたいな。
イヤな奴が出てくる。でも倒す。痛快。イヤな奴が出てくる。でも倒す。痛快。
という、ストレスの解放を何度もしてくれるので、どっぷりハマるのです。
(ちなみにこれは作品作りのみならず、情報発信でも使えるノウハウでもあります)
緊張感が高すぎると、人は疲れてしまいます。
ましてやドラマや映画というのは、いまや娯楽としての要素が高く
あまりにも見応え、読み応えばかりを意識してしまうと離脱に繋がりやすいです。
だからこそ、です。
不毛地帯はこうした小さめの解放が少なく
かなりのガチ勢以外は置いてけぼりになり視聴率が低迷した。そう考えます。
不毛地帯においても、人の感情に、
特に壱岐の感情にスポットをもっと当てて欲しかった。
里井副社長は私利私欲丸出しのキャラクターでしたが
あそこまで行かなくとも、壱岐にどこか人間らしさを感じたかった。というのはありますね。
短編映画とかならいいですが
たとえば16話のシベリアでの会合について
もう少し壱岐の感情的な葛藤とか見せてほしかったですね。
1日だけ考えさせてくれ。と言ったり。
決意を固めるまでの感情的な葛藤の描写を見せたり。
普段からヨーロッパ行く時にシベリア通らないようにする、という描写を入れ込んだり。
こういった描写を用意しておくだけで
16話の見せ場が、シベリア行きを決断することの重要性が、さらに際立ったはず。
そうしたら、もっともっと名作になったと思うのです。
同様に、視聴率を考えた場合においても
第1話から抑留についての話が多すぎて
冒頭30分間、物語が暗く、救いのない展開がずっと続きます。
確かにシベリア抑留についての事実を述べるのは
歴史保護の観点ではとても重要です。
ですがあくまで抑留生活を語るのは、
その後の商社生活を描くうえでのバックボーンなので
もう少し現代にスポットライトを当ててもよかったはずです。
そうすれば視聴者は負担を感じることなく
見進めることができたのではないか。
こういう風にも思います。
あとは手紙とか日記という
手法を取り入れてもよかったかな。と。
壱岐は会社ではすべての仕事を突破していくスーパーマンだが
じつはプライベートでは、誰にも言えないだけで
仕事の人間関係に悩みに悩んでいた。とか。
こういうのを読者は
壱岐の苦悩として知りたかった。
手紙とかが生々しすぎるのであれば、
紅子や千里に対しては弱みを見せるとか。
そういう人間的もろさ、みたいなのが見たかった。
壱岐が周りの人間の妨害工作にたいして
戸惑ったりしている姿をもっと見られると
もっと共感できたと思うのです。
物語はよー分からんけど、
どっぷりハマる人が増えたと思うのです。
あるいは、最初は商社マンとして葛藤と活躍を繰り返す壱岐 正をピックアップする。
しかし、どこかで暗い過去を持っている様子を見せる。
たとえばパンを絶対に食わない、とか。
ロシアには絶対出張しないとか、極端なこだわりを見せる。
そういう中で、読者には疑問が生まれる。
あれ、ただカッコいいだけの壱岐じゃなくて、なんかあるのかな?過去に。と。
そして、親しい間柄の人に話すタイミングで
回想としてシベリア抑留のシーンを差し込む。
こういう形にすれば、サラリーマンという立場から
戦争の語り部として壱岐 正を動かすことができたのではないか。とも思います。
いきなりシベリア抑留を出すのではなく
壱岐という男に興味を徹底的に持たせる。自分を重ね合わせる。
その上で、伝えたいこと、歴史観などを差し込む。
すると、視聴者はこんな過去があったのか。と
壱岐の壮絶なトラウマに衝撃を受ける。
こういう形にしていけば、視聴率という意味では
変化が起きたのではないか。と考えます。
当然、20話完結で、30年にもわたる
壱岐の抑留生活から商社マンまでのすべてを語りながら
感情面にまでフォーカスするのは難しい。という意見もわかりますが、
できることは何かしらあったのではないか。というが僕の意見です。
16話のシベリアに行くシーンや
最終話で大門社長に勇退をうながすシーンなどは
日本のドラマ史に残る名場面であるがだけに
もっともっとそのメインディッシュを美味しく料理できたのではないか。とも思います。
また、視聴率の低迷によって、残念ながら
それらの名シーンに辿りつかない人がほとんどであったことも、もったいない。
コンテンツである限り、見られなければ存在していないのと一緒ですし
それらが見られるための工夫というのは永遠にしていかなければならない。
これは我々情報発信をするものも他人事ではないです。
すべてのコンテンツは見られなくては意味がないですし
どれだけ伝えたいことがあっても、誰も読んでくれなければ、見てくれなければ
存在しないのと同じになってしまいます。
それを適切に伝えるのがマーケティングであり
レバレッジをかけていくということ。
ビジネスは、いついかなる時も学べます。
コンテンツを消費者として消費するのではなく、
コンテンツ生産者として”自分ならどう作るか?”という観点を持ちながら見ること。
ニュースを見たり、街中の飲食店にお客さんが入っていないのを見たりしても
自分ならどうするか?とシミュレーションをするだけでも
コンサルをしているのと同じような効果が得られます。
こうしたことを続けていくと、異次元に成長できます。
日々の濃度が、全く異なるからです。
本当に自力のある人って、こういう思考訓練を常日頃からやっています。
この作品はこうで、ああで、あのビジネスはここが良くてここは改善できて…みたいなことを無限にシミュレーションしている。
まずは絵に描いた餅がないと、本物の餅は手に入らないのです。
限られた時間、限られた人生において
いくらでも工夫のしようはあるのです。