人類最初の情報革命、印刷機の製造は「技術の進歩」じゃない。
情報の価値が、「希少(独占)」から「流動(拡散)」にガラッと変わった、人類の認知のビッグバンです。
ぶっちゃけ、いまAIで起きてることも、この延長線上にある。
前回の記事で少しだけ話しましたけど、AIの登場によって情報との関わり方がまたガラッと変わっちゃったんですね。
AIとどういうふうに接していけばいいのか?を話すために、今回はズバリ「情報」の歴史から紐解いて、今後の AI時代の生存戦略を見ていきたいなと思います。
なぜ歴史から学ぶか?
歴史は繰り返すから。です。
脈々と流れる「情報と人間」の関係性の変化を見ていくと、
次はこっちに振れていくな。という法則が見えてきます。
最初のテーマは「印刷・出版革命」。
人類が初めて自分で考えることを選択するきっかけになった歴史的な転機。
ここからAIとの接し方をどうしていくべきか?の視点で未来を見ていきます。
1:グーテンベルク——職人気質と「世界を変えたのに報われない」構図
元々世界には紙っていうものがなく、印刷技術もなく、最初はピラミッドとかに書かれてるみたいに、石に文字を打ち付ける、絵を描くみたいな方法でしか情報の保存ってできなかったんですね。
で、そこから次に、羊の皮に文字を書くようになったんです。
それも手書きだった。恐ろしく時間がかかったわけです。コピーとかないですからね。
で、羊って、当時の金銭感覚だと、割とピンとこないと思うんで、どれくらいの価値だったかっていうと、大体今の現在の日本円で、1匹当たり10万から15万ぐらいって言われてます。
意外と安いって思うかもしれないですけど、冷静に考えてみてください。羊の皮に文字を書くっていうことは、例えば本が300ページあったら300匹分の羊の皮が必要なわけです。
つまり、15万円×300匹ってやれば4500万以上になるわけですね。
人類の歴史の中には確かに、ひと財産投げ打って文字を記録するもの、みたいな時代があったわけです。
そんなヨーロッパの印刷の時代背景がある中で、ドイツの金細工師・グーテンベルクがやったのは、情報の「モジュール化」と既存技術の「新結合」。
これがやったのは2つです。
モジュール化っていうのは、分割して、また繋げること。
- 活字(活版)=ページ単位の「板」を、文字単位のパーツに分解した。
→ 情報の再構成コストが爆下がり。
新結合っていうのは、今まであった技術と技術を繋げることです。
- 既存の接合=ぶどう搾り機(プレス)、油性インク、紙。
→ 全部つなげて「印刷機」というシステムにした。編集力ですね。
この複数のことを同時にやって、今まであった技術を使えるものにしていったっていうことが、彼のやったすごいところですね。
ちなみに、その当時作られた42行聖書っていうのがあって、それめちゃくちゃ精度が高いんですね。実物はこんなやつ。

やばすぎ。えぐい綺麗ですよね。
あのさっき言ったみたいな文字単位のパーツにして、それを繋ぎ合わせていく中でその文章にしていきました。
ちなみに、このグーテンベルクが気をつけたところとして、改行するときの右端ですよね。右端が全部揃ってますよね。
まあ、左端は当然、書き始めなので揃うんですけど、右端を揃えるために、ちょっとずつサイズの違うような文字のパーツっていうのを作って、しっかり収まるようにして、「この技術は手書きに負けてないんだぞ!」っていうことを、世の中に知らしめるアピールも工夫するっていう、工夫もされてましたね。
2:ルター——世界初の「情報のD2C」と、ゲートキーパーをバイパスする
マルティン・ルターは、この印刷機という武器を、史上初めてメディア戦略として使い切った人。
- 中間を消した:教会という「情報の門番」を経由せず、民衆にドイツ語の聖書を直で届けた。教会がめちゃくちゃやってたわけですよね。教会にしか聖書がないっていうことを利用して、あることないことをめっちゃ言っちゃってたっていうことです。そこに反感を持ってたのがルター。
- パンフレット(Flugschrift):安い・軽い・大量。
→ 今のチラシ・広告の原型。
→ 「相手の生活圏に放り込む」プッシュ型の走り。
「誰が情報を握るか」を変えた。
本とかチラシ、パンフレットが手元にあるっていうことがすごく大事で、ここで生まれたのがクリティカルシンキングなんですね。
要するに、批評的な思考ができるっていうこと。これが世界の動きで見てもデカい。
人から与えられた情報っていうのは、例えばテレビでもそうやけど、ずーっと情報が流れ続けるから、自分で考える時間がないんですよね。
でも、例えばYouTubeだったりとか、本だったりとか、そういうものっていうのは、自分で止めて、一回考えるって、咀嚼するってことができるわけですよ。
これってホンマなんかな?
これって間違ってないかな?
これって自分にとってはどういう意味があるんかな?
これ自分使ってどうしようかな? と考えれるようになったんですね。
今までは情報を一方的に教会が民衆に流し込んでたのが、流れが変わったんですよね。
ヨーロッパの教会は当時、情報を統制してたっていうのもあって、めちゃめちゃ権力とか富とかが集中してたんですね。
一般の人が食べるものに困ってるとき、今みたいに食べ物が毎年ちゃんと取れる技術すらもなかった時代、飢饉とかもあって、お腹が空いて死んじゃう人とかもいる中で、自分たちは金で加工された皿を使って、飯を大量にバカバカ食う、みたいなことをやったりとか。
日頃の暮らしがすごく苦しい民衆が、死んだら天国に行けるっていう教えを信じている時に、金を払えば天国行けるんやでって言われたら、やっぱそれはね、すがりたくもなりますよね。そういうことをやって、めちゃめちゃな暴利をむさぼってたわけです。
それまで大衆を同じ情報を教会が聞かせて、ある種の思考停止にすることによってコントロールし、つまり情報の非対称性っていうのを使って金儲けをしてきたのが教会だったわけです。
「チ。」という漫画アニメがありますけれども、これ見た人だったら、当時のキリスト教がいかに縛り付けてたか?はすごくわかりますよね。
地球が世の中の中心で、その周りを星々が回ってるんだっていう天動説が嘘だっていうことを、嘘っていうか間違いってことがわかると、教会がずっと「私たちが正しい」って言ってたことが、覆ってしまう(=権力が落ちる)ことを、とにかく嫌ってたわけです。
けど、聖書が手元に行くってことは、教会が言ってたことと聖書に書いてあること、ちょっと違うんじゃないけ?っていうことも、よくよく考えれば気づいてしまうっていう。だからクリティカルシンキングが生まれたのがすごいことなんですよね。
だから、徹底して、異教と弾圧をしたりとか、新しい技術にたいして、異端審問官が暗躍してたっていう、そういう話なんですよね。
こんな世の中だったにも関わらず、自分はこう思うっていう個人の意見とかを、持てるようになったのが、このルターがやった、本を作った大きな意味なんですよ。
直接民衆が神の言葉を受け取れるっていう状態を作ったことで、民衆は自分で考えるとか、聖書の言葉の意味を考えるようになったわけです。
3:人類のOSが書き換わった——「聞く」から「読む」へ
つまり印刷がもたらした最大の変化は、人間の認知の構造が変わったこと。
| 口承時代(聞く) | 印刷時代(読む) | |
|---|---|---|
| 体験 | 共同体・同期(広場、テレビ) | 個人・非同期(寝室、書斎) |
| 姿勢 | 流れに従う(受動) | 止まる・戻る・咀嚼する(能動) |
| 心理 | 共鳴・一体感 | 内省・批判的思考 |
| 結果 | 集団の団結 | 「個」の誕生・自己の確立 |
マジで大事なのはここ。
「読む」が、「個」を生んだ。
みんなで同じものを聞いて「わー」ってなるのと、一人で本を読んで「あ、そういうことか」ってなるの、脳の使い方が根本から違う。
4:マスメディア——また「同期」に戻った中継地点
新聞・ラジオ・テレビは、印刷の「1対多」を巨大化させたけど、また「みんなで同じ時間に浴びる」世界に戻した。
- 国家単位で同じ情報を浴びる → 「想像の共同体」。
- 「流れてくるものを浴びる」スタイル → 批判的思考が鈍る。
→ 大衆操作の土壌にもなった。
つまり、印刷が開いた「個」の窓が、一度ふさがれた感がある。
ここを理解しておくと、SNSの「流れに乗る」が、実は「聞く」に近いって話も腹落ちする。
つまり、今でいうオールドメディアって呼ばれるものは、基本的には洗脳装置であって、特定の思想、思考とか価値観の方に染めるっていうのを巧妙にやってるっていうのがあるわけですよね。
学校とかも、一つのそういう意味で言ったら洗脳メディアですよね。
強制的に時間を取って、先生が偉い、先生が正しい、年長者の言うことを聞きなさいっていうロジックの環境の中で、彼らが伝えたいことを伝えてくるっていう話なんで、そこに生きづらさを感じてしまう人がいるのは当然なんですよね。
4.5:揺り戻し——YouTube・音声が起こした「第2の口承」
印刷が「孤独な読書」を広めたのに、YouTubeやポッドキャストで、人類はまた「耳で聞く共同体」に引き戻されてる。
- 二次的な口承(Secondary Orality):
文字を知ったあとで、わざわざまた「声」で情報を取る。読むのは脳に負荷かかるけど、聞くのは本能で気持ちいい。感情が直で乗る。 - 疑似的な共同体:
ライブ配信やポッドキャスト=昔の広場で長老の話を聞いてた「共有体験」のデジタル版。
「一人で深く考える」読書から、「誰かの熱量に同期する」聞く時代への揺り戻し。
だから、ネット時代は「印刷の延長」やなくて、口承への回帰って見ると、表とピタッと合います。
5:AI時代——「画一」から「動的対話」へ、そして「鏡」へ
ここからですよ。お待たせしました。AIによってさらに情報の受け取り方っていうのは変わってきたんですね。
ここは一早くキャッチアップしとかなきゃいけない。それぐらいインパクトのある大きな変化です。
AIで変わってるのは「読むか聞くか」の選択ではない。
情報の「受け取り方」そのものの次元が変わってる。
これまで(静的・受動的)
- 教科書もウェブもSNSも、誰かが不特定多数に向けて固定したもの。
- こっちは「探す」か「浴びる」しかなかった。
- 自分の文脈(悩み・目的・レベル)に合わせて加工するのは、ずっとユーザー側の脳の労働やった。ここはめちゃくちゃ面倒くさいし、脳みそのリソースをめっちゃ食うところだった。
AI以降(動的・主体的・パーソナライズ)
しかし。
AIは、情報を「固定されたモノ」から、自分のコンテキストに合わせて形が変わるメタモンに変えた。

- 民主化→個別最適化:
グーテンベルクが「みんなのもの」にした情報を、AIは「あなただけのもの」にする。 - 読書でも聴講でもない「共創(Co-Creation)」:
自分の思考をAIにぶつけて、AIが咀嚼して「今の自分に最適な形」で返してくる。
ただ読むのでも、ただ聞くのでもない。
「自分専用の意思決定エンジン」を組んでるってことは、この情報の関わり方の最先端に立ってるってこと。
進化の極致:「情報の鏡」としてのAI
本やウェブは「外の世界を知る窓」やった。
パーソナライズされたAIは、自分の思考を整理し、増幅し、フィードバックしてくれる「内面を映す鏡」になる。
- 批判的思考のアップデート:
「読む」で生まれた批判的思考が、AIとの対話でさらに研ぎ澄まされる。
「AIはこう言うけど、自分の過去の意思決定ルールと照らすとどうか?」——多層的な思考セッションができる。
AIとの「多層的思考」の4階層:
- 調達:自分のレベルに合わせた要約。
- 接合:歴史や他分野と自分のビジネスをぶつける。
- 摩擦:AIに否定的な視点(B案)を出させて、思考を磨く——知的格闘。
- メタ認知:AIを鏡にして、自分の思考のクセや価値観を発見する。
知識を「持ってるか持ってないか」じゃなくなる。
「その情報をどう解釈し、どう判断して、どう実行に落とすか」が資産になる。
やるべきことは、
自分というものを文字情報に変える(できる限り)
+
既存の知識とか、今まで人類が蓄えてきた知識という英知とかけ合わせて、自分に使える情報に作り替える。
これがめちゃめちゃ大事。
これが情報のメタモン化。←今名付けた
これ、ちょっとずつ言われ始めていることなんですけど、AIを使った自分のコンテキスト(文脈)化ですね。
自分という人生の文脈をAIに読み込ませるっていうことをやりながら、既存の人間が築いてきたものと掛け合わせるってことです。
自分の価値観を明文化する、行動基準を明文化する。こういうことをやった先に、自分と同じ自立型のAIっていうのが存在するわけです。
ぶっちゃけ、この記事も含めて、僕の最近の記事は、AIに壁打ちして、その中で僕が非常に学びになったこととか、深く洞察したこととかも含めて話してます。
だから、多少ね、不自然さを感じる方もいらっしゃるかもしれないんですけど、それはもう仕方がないですね。これは僕だけの話じゃなくて、あらゆるウェブコンテンツがAIを使っていくのは当然なんですね。
僕が一人で考えるよりも明らかに情報量だったりとか質が高くなっているので、今僕が出せる最高のコンテンツっていうのは、僕とAIを融合させた第三の情報なんですよね。AIと融合した情報。これが最強です。だから、これからもこのスタイルでいきます。
情報の質や、実際生活に役立つか、僕のブログは、熱量を1本で書く記事もありますし、今でも作っているんですよ、そういう記事は作っているんですけど。そうじゃなくて、AIとごちゃ混ぜにしたコンテンツが、今後は重要になってきます。
今までもググって検索でやってきたことが、より個人の意思とか経験とか背景情報を汲み取った上で調べれるようになったのがすごいデカいところですね。
AIが書いただけの文章はGoogleとかも嫌ってるから、淘汰されてしまうんですけど、自分の意見とか、自分の主観とか、自分の編集してる部分ですよね。そこをしっかりと載せていくことによって、オリジナルコンテンツに十分なり得ます。
まとめ:情報の関わり方の変遷(一覧表)
この表、めっちゃわかりやすいのでそのまま置いておきます。口承→印刷→マスメディア→AIの流れが一発で入る。
| 時代 | 主要メディア | 特徴 | 体験 |
|---|---|---|---|
| 口承時代 | 声・広場 | 共同体・同期 | 受動的・共鳴 |
| 印刷時代 | 本・活字 | 個人・非同期 | 能動的・内省(批判的思考) |
| マスメディア時代 | テレビ・新聞・ラジオ | 拡散・疑似同期 | 受動的・回帰 |
| ネットAI時代 | 対話型エージェント | 文脈・パーソナライズ | 主体的・共創(意思決定の拡張) |
結論(ここに集約される):
情報の関わり方が受動的→能動的→受動的や主体的というふうに、どんどん情報との関わり方って変わってきたんです。この点に注目してください。歴史は繰り返されます。どんどん振り子みたいに周期的に移動していくわけですよ。
これからの時代はAI時代なんで、主体的に自分がどうしたいか?どう情報を編集、アレンジするか?っていうところを考えなきゃいけない時代になってるわけですね。
情報の取り方、学習の仕方が根本的に変わる。
AI時代、「情報を得る」苦労からは解放される。
Googleで検索したり、Yahooで検索して、ガセサイトとかア自分がフィリエイトして儲けるためだけのたたきブログとか、そういうしょうもないものに時間を取られるのは終わったわけです。
さらに言うと、学習に関わるコストっていうのが、一時的に下がるんですね。
これはどういうことかっていうと、今までやったら、学んできたことっていうのは、自分に合うかどうかとか、分かんなかったわけですよ。
例えば、習い事をして、ピアノを習ってたとします。先生との相性もあるし、自分の才能もあるし、自分がやりたいことかどうかって、これまでどれくらい練習してきて、どんなことができて、何ができないのか、どこでつまずいてるのかとかっていうのが、何かのレッスンを、先生がいたらいいけど、家でピアノを練習するとなったときに、そこの思考力がない人は、学習が進まなかったわけなんですよね。
でもAI時代は、AIにこれができる、あれができないっていうのを、ただしゃべっていくだけ、どんどん入れていくだけで、自分にパーソナライズされたレベル感の、次の一歩を踏み出すレッスンとかを、提案勝手にしてくれるんですよね。
80〜90点の学習コーチがほぼ無料で手に入る時代
これ冷静にエグいんですよね。今までやったら本を読んで自分でその内容を自分に合わせた形にしていかなきゃいけない。つまり編集する力がめちゃくちゃ必要やったのに、その情報を加工せずとも勝手に加工してくれるんです。
自分のことをAIがちゃんと知ってさえいれば、つまり自分がAIを使い込んでさえいれば、そこから最適な解というのを出してくれる。少なくともパーソナライズされた80点90点ぐらいの答えは出してくれる時代になったんですね。
AIは自分の持っていることを壁打ちする鏡であり、自分が言語化した、ちょっと実現したいことを繋いでくれる目標達成実現コーチでもあるし、それを実際作業してくれる優秀なエージェント、作業者にもなってくれるということです。
その代わりに問われるのは、「自分は何を成し遂げたいのか?(コンテキスト)」という強烈な主体性。
印刷革命が「個人の思考」を生んだように、**AI革命は「個人の文脈による世界の再構築」**を生む。
やることを増やすな。判断と実行の設計に集中しろ。ってことです。
我々がすべきこと
| 示唆 | 一言 |
|---|---|
| 個の文脈が最強 | 情報の複製コストがゼロになったいま、価値があるのは「どう解釈し、どう使うか」という主体性。 |
| 非同期の深い思考を死守 | SNSの散漫な同期から離れ、AIをパートナーにした一人の深い内省、自己理解、言語化に時間を投下する。 |
| 思想の聖書を配る | ルターのように、自分の哲学をモジュール化して、市場にデファクトとしてインストールする。 |
ノウハウは増やさない。
やることを減らし、判断と実行の設計に集中する。
それが、印刷革命から続く「情報の解放」の、これからのAI時代の生き方の答えです。
あなたが一番最初にしなければいけないことは、AIや自分自身との対話を通してやりたいことを言語化すること。
そのために日々の内省をすること。
何かしらの一時情報の体験をして、それに対して自分はどう感じたのか?っていうフィードバックをして、自分が何者かっていうのを知ることからスタートします。
おまけの考察:編集者の価値が爆上がりする時代がくる
受動的、能動的、受動的、主体的というふうに、どんどん情報との関わり方って変わってきたんです。どんどん振り子みたいに周期的に移動していくわけですよ。
という話をしましたけど、前回も僕が話したように、体験者、編集者、実行者っていうのは今後の世の中ですごく重宝されていくわけなんですけど。
その中でも、グーテンベルクの時代、印刷機が爆発的に増えて、印刷されている書籍が大量に増えた時に、能動的に情報を取れるようになった時代に何が起きたかっていうと、編集者の価値が爆上がりしたんですね。
それと同じことがこのAI時代にも起ころうとしています。
印刷機が出たばっかりの頃は、印刷機を持っているっていうこと自体が、最強の参入障壁だったんですね。
携帯電話とかで考えたらわかるんですけど、最初って誰も持ってなかったし、ただね、どんどん技術が発達したりとか、製造過程の見直しとかね、物流の流通とかを見直していくことによって、どんどんコストってカットされていくし、競合他社との競争の中で、価格競争性を、基準としてするのが普通のことなんで、そうなると、誰でも持てるようになってくるわけですよ。
AIも今は、まだ使える人、使えない人がいるけど、そのうち、みんな使えるようになってくるんですね。
なんでかって言ったら、文字を打つだけやし、検索するだけやし、っていう。みんな使えるけど、使いこなす人と使いこなせない人は、明確に出てくるってことです。ここでの編集力の差が出てくる。
昔から「バカとハサミは使いよう」って言いますが、AIも使いようなんですね。
無限にできることがあるけど、目の前のことをちょっと調べるためだけに使う人と、それを仕事にめちゃめちゃ活かすみたいな人とでは、運命の差がついてくるし、そのAIをちゃんと使いこなせるようになってるかどうか。
つまり、それをどういうふうにアレンジするのかっていう編集力の部分を磨いてる、磨いてないで全然違ってくるんですね。
だから、AI使えるとか、なんかプロンプト知ってますみたいなだけの技術っていうのは、ただの印刷会社になって、下請け工場になった当時の印刷工場と一緒になっちゃうわけです。つまり、結局は、価格競争になっちゃう、ということですね。コモディティ化しちゃうと。
で、まあ、検察機ができた当初は、とにかく、「本を擦りまくれ」と。昔は全然本とかなかったから、新しい娯楽になったわけなんですけど。その中で人は、もう新しいね、悩みとか、絶望に直面したんですね。
それが、どの本が正解で、どれが面白いかっていうのは、分からんないっていう、情報の洪水に飲み込まれたことなんですね。
このタイミングで儲けたのが、編集者たちなんですよ。
何をしたかと言ったら、本を選ぶ、「今読むべきものってこれです」とかいうキュレーションをしたりとか、あとは、企画化をしたんですね。
持ち運びやすい文庫本っていうのを作ったりとか、イタリック体っていうのを作ったりしたのが、アルドゥス・マヌティウスっていう人がいるんですけど、そういう人が当時の編集者だったりします。

あとは、文脈の付与ですね。
本の前書きとか、後ろに「最後に」とか帯とかありますね。
ああいうのをつけて、「なんでこの本を読む必要があるのか」って語れる人。
つまり、AI時代においても、その意味付けをできる人っていうのが、「なんであなたはこれをした方がいい、これをしない方がいい」というところを編集できる人が、超強いってことです。
で、AIって何でもできるから、「とりあえず触っておけばいいんでしょ」っていう人に対して、「あなたはこれをやった方がいいよ」とか、「本当に使うべきはこれだよ」っていう、みんなが理解できる言葉とか使い方に編集して、自分でゼロから勉強せずとも、新しい人生のOSに書き換えてあげる。
人生をアップデートするツールに書き換えてあげるっていうことを、AIに対してやってあげる人が、これからめちゃめちゃ金が儲かるってことですね。
情報の組み合わせをする編集性と、そこに対して、その人はどういう風なストーリーをやっていけば、もっと面白い人生になるのか?とかっていうのをプロデュースするのが、貴重な資源になっていくわけです。

