暗黒時代:億人物語Episode5

億人物語、第5弾です。

今までのストーリーはこちら

前回はこちら。

 

ビジネスを始めて5年。
僕はビジネスで手にした全てを失った。
仲間、金、気力、夢、希望。

 

金はまだあったし時間もあったけど
仲間を失ったのがつらすぎて、
もう一度ビジネスを心からやりたいと思えなくなっていた。

人は未来に希望を持てなくなった時に絶望する。

今回はその時の話をしたい。

 

全てを失った。

人、もの、金。
僕はある日、全てを失った。

その日を境に、
次々と仲間が消えていった。

 

今考えてみると
前兆はいくつもあった。

仕事のパートナーがしていたビジネスが
自転車操業になっていると言う話を聞いた。

それに対してお金を貸したりした。

僕は金を貸した。なのに気が利かないと怒られた。理不尽だった。(理由は前回の記事

パートナーの言葉遣いが、どんどん荒くなってくる。

周りの仲間に対しても、必要以上に怒っていた。

その時点で、やめるべきだった。

 

今になって思うのは
いかなる場合においても、
金を貸すべきではない。ということ。

本当にその事業に見込みがあるのであれば
銀行が融資したくてたまらない魅力的な事業のはずだから
本来友人同士、パートナー同士でお金の貸し借りは必要ない。

それに、本人の成長を考えても
お金を貸しているということは
問題の先延ばしをしているにすぎない。

どんどん問題が膨れ上がって、
しまいにはコントロールできなくなる。
リスクコントロールができなくなる。

でも当時はそんなことは考えず
目の前の困っている人がいたら
それを救うのが正義だと思っていた。

でも、それは当事者から、その人から
学びを得る機会を失わせている。
生きぬく力を失わせている行為であると恥じた。

だから今は絶対に人にお金は貸さないし
困っている人がいても、お金は出さない。

それは
相手の人の学びと成長の機会を奪うから。

今のままではいけない。
これまでのやり方は間違っていた。

ということを本人が学ぶ機会を
僕が金を貸すことで失わせていた。

この人は僕を必要としている。
なんとかしたい。という
しょーもない自尊心を満たすために

僕は仲間と金と全てを失った。

 

2度と同じ過ちは繰り返さない。
2度と人にお金を貸す。と言うことはしない。

虚無とゲーム

仲間がみな、いなくなった。

僕は起業して4〜5年かけて作った人脈が
すべていなくなった。

 

想像してみてほしい。

僕は会社を2年で辞めた。

その後、5年間、走り続けた。
前回の記事でも書いたように
自分が欲しいものはいつでも変えるようになったし
時間もありあまっていて調子乗って遊びまくった。

人生チョロいな。と思ってしまった。

周りに仲間はたくさんいたし
仕事ができることで尊敬もされていたし
毎日が普通に楽しかった。

そんな僕が、ある時を境に
全ての人間関係が清算されていった。

 

もう、びっくりするくらいに人が消えた。
それまで僕を慕っていた人間は
僕の金とか、僕のビジネススキルとか
そういうものだけに魅力を感じていたのだ。

最初は利害関係で繋がればいい。
でも、ゆくゆくはそれ以上の関係になっていくべき。

僕はそう思っている。

でも、その時は利害関係で終わってしまい
僕と一緒にいることより、一緒にいない方が
メリットがあると判断をされてしまった。

単純に目先の金だけを見られていたからだ。

それは今考えてもめちゃくちゃ悔しい。

 

だからこそ、僕は今、ここまで自己開示をしている。
と言うのもある。

これについては長くなるけど
ちゃんと億人のこと、思想、哲学を理解している仲間を
これからは増やしていく。と決めている。

だからガンガン自己開示をしている。
意味があって自己開示をしているんだ。

僕の考え方、思想、哲学、生き方、
人生のターニングポイントでの選択のしかたなど
あらゆる角度で情報を伝えていく。

その上で、億人は信用に足るとか、
億人から何かを学びたい。そう感じる人が
一人でも多くなっていけば本望だ。

 

起業して5年ほどで全てを手に入れたけど
そこから僕は一度絶望に落ちた。

うつになった時よりも辛かったかもしれない。
この闇を、自分は越えられるのだろうか。
と挫けそうになったからだ。

 

正直、金もあった。時間もあった。
だから、もうしばらく休むかな。と思った。
その時は2人目の嫁がいた。

ビジネスがうまくいくようになってからは
常に女が近くにいた。

ありがたいことに何人もの女性から
結婚をして欲しいと言われてきた。

2人目の嫁は、そんな中の一人だった。

都心部に住んでいたが少し田舎に引っ越して、
隠居生活をすることになった。

隠居生活

隠居生活はまさに隠居だった。

1年間を通しての労働はゼロ。
毎日本を読んだり、ゲームしたり、投資の勉強をしたり。

そういえばMBA取ったらカッコいいんじゃね?と思って
アメリカの大学院にオンラインで通い始めてみたり。

そんなことばかりしていた。

 

投資の勉強もただなんとなく勉強するのではなく
ガチで投資一本でメシを食えば、2度と誰とも関わらなくていいはず。

そう思ったので、トレードの塾や長期投資の塾などに入り
最終的に株の長期投資についてガッツリと半年ほど学んだ。

そこで企業会計の基礎を学んだ。

だが時間がかかる割に、大して儲からなかった。

こういうのはもっともっと金が増えてからやれば良いことだった。

 

ビジネスをしていた時に使っていた
SNSは全てアカウントごと削除した。

ビジネスをやっていた時の自分を思い出すと
仲間との楽しかった日々を思い出すから
なるべくビジネスのことを思い出さないようにした。

失恋した時に元カノや元カレの思い出の品を
全部捨てるのと同じような感覚だ。

 

お金はどうしていたのか?ってことだけど
それまでに作ったビジネスや投資から
所得を得ていた。

毎年、1月1日にはその年に使うであろう
お金を手に入れて、終わり。

あとの364日は好きなことをやったり
好きに勉強をしたり、飼っていた犬と戯れたり。
自堕落な生活をしていた。

なんならその間に
年収3億になった。

本当にこういう生活を
まる3年も繰り返した。

ゲームに逃げた日々

また仲間を失うくらいなら
また一人になるくらいなら
最初から失敗なんかしない方がいい。

そう思っていつまでも行動できなかった。

 

1人なら傷つかない。
これはメンタルが弱っていた
自分にとっては世紀の発見に思えた。

昔から1つのことを極端に突き詰める性格だった。

ならば、とことん1人になってしまえばいいと思った。

 

だから、ゲームの世界に逃げた。
オンラインゲームは僕の全ての
マイナスな思考を忘れさせてくれた。

ゲームに熱中した。
社会人になってからはゲームなんかしなかった。
してもパズドラくらい。無課金で。
当時は金がなかったから課金など出来ず。
だから結局すぐ飽きてやめてしまった。

今は金も時間もある。
大人になってから趣味に没頭するって面白いな。
しかもゲームとか、一般的にはオタクって言われるし
なんなら親からもゲームばっかりすんな。って言われてきたけど
もはや大人になって仕事も納税もちゃんとしてきたし。

よし、死ぬ気で遊ぶか。

と発想した。

 

結果、1日に30時間くらいゲームした。
実際にそれくらいやった。

朝起きて、次の日の昼過ぎまで
徹夜でゲームする。みたいな。

ちなみにやっていたゲームはこれ

3年で4000時間ほどやり
気づいたら数百万人いるプレイヤーのなかで
あるルールにおいて世界で11位になっていた。

 

普通にすごいことだ。
その頃には30歳をすぎていたし
プロもたくさんいる中での
快挙と言ってもよかった。

 

だけど。

そこで得たのは達成感…
ではなかった。

さらなる、虚無感だった。
だから、何?というむなしさだった。

確かにゲームはうまくなった。

でも、自分一人の喜びだ。
誰も喜んじゃくれない。

俺は一人だ。

どこまでいっても一人だ。

そんなことを冷静に再確認してしまう時間になった。

 

気づいたら3年という時間が過ぎていた。

 

途中で離婚をして、東京に出てきたり
また結婚をしたり、子供が生まれたり。

どっちかというとプライベートでも
いろいろあったけど、とにかくゲームしていた。

いまだに今の(3人目の)嫁さんからは出会った頃は
私を無視してゲームばかりしていたと言われる。

その間ずっと、うすうす思っていたのは
いつまでこんな逃げるような人生を続けるんだろう。

こんなことをするために生きているんじゃない。
もっと、面白いこと。面白い人生を、生きたい。

ということだった。

命を、燃やせ。

このままではいけないことは分かっている。
命を燃やせていない。

人は自分が本当にやりたいことを見つけて
やっている時、めちゃくちゃな充実感を得る。

その時はやりたくないことでも
やりたいことのためにやっちゃうし
はっきり言って無敵状態だ。

その状態が忘れられなかった。

 

でもそれは、ゲームでは得られなかった快感だった。
どうしたらいい。

でも、何に情熱を燃やしていいか分からなかった。

ただ、どこかでうすうす気づいていた。

 

もう一度、ビジネスをしてみたい。
そういう気持ちはずっとあった。

 

だからゲームの合間に株を勉強したり(これはこれでガチで学んだ)
MBA(経営学修士課程)を取得しようとしたり。

自分の残りの人生、何に情熱をかけたらいいのか

全く分からなくなっていた。

 

たくさんの経験をして
やりたい放題に人生を謳歌してきたが
ついにそんな僕にも子供が生まれた。

2021年のことだ。

自分よりも弱い存在である子どもが
自分のところに生まれてくれた。

これは大きく人生観を変えるキッカケになった。

 

日々成長する子供に、
己の生命力を爆発させている姿を見て

いつまでもイジケている場合じゃない。
親は、僕だ。

親の僕がイジケてたら
子供もイジけた卑屈な人間になる。

そうじゃない。
起業を始めた時みたいに
人生ってもっと楽しいし
可能性に溢れているはずだ。

何年もゲームして引きこもっている場合じゃない。

人生の楽しさを背中で見せるんだ。

そう思った。

 

そこから、
暗黒時代を抜けるための旅が始まった。

 

最初は何をしたらいいのか分からなかった。
自分はもう、社会復帰できないんじゃないか。
誰も必要としていないんじゃないか。と思った。

もともとビビりがちな性格だったので
変わらない方が楽なんじゃないか。と思った。

何度も何度も葛藤した。
自分がまた、ビジネスをするなんて。

そもそも何をしたらいいんだ。
わからない。とにかく、探そう。

 

そのためにまた、セミナーも行ったし
コンサルやコーチングなども受けてみた。

手元の金をバンバン使った。
使いまくった。

それでとにかく自分の可能性を広げていった。
まずは情報収集からした。

 

そして。
最初に情報を探し始めてから
およそ半年が経過した。

ついに出会った。これだ。

 

それまでのモヤモヤした気持ちや
うっぷんが全てぶっ壊れた。

これだ。と確信した。
理想の生き方をしている人に
まさしく出会ったのだ。

 

その話は次の記事で話そう。

 

・いかなる場合においても、金を貸すべきではない。相手の人の学びと成長の機会を奪うから。

・死ぬ気で遊んだところで、どこまでいっても一人だということ。

 

結局、ビジネスで人に感謝されている時や
成長をしている時、成果を出している時、
関わった人が成果を出す時など

人は感情や感動を人と分かち合いたい生き物なのだ。と分かった。

 

10歳から働いてきた。
働くのが嫌だった。

それでも会社員になった。
クソボケカスと言われて働いた。

その反動で、必死に自由を追い求めた。

1年で結果が出た。

5年経ったら全く働かなくて良くなった。

 

それでも。なお。

働きたい。

この気持ちが出てきたことが、自分の中から嬉しかったのだ。

 

人生で生まれて初めて
自分から主体的に働きたい。と思った。
人のために、役に立ちたい。と思った。

この働き方をしたい。この生き方をするんだ。

そう思ったんだ。

 

次回、この出会いや働き方、
人生を変えたキッカケなどを詳しく書いていく。

次の記事を読む

フォローして最新情報をチェック!