藤本タツキ”ルックバック”が神作だった。作者がイカれてるけど、だからこそいい。それでいい。

今話題のルックバック見てきました。

チェンソーマンの作者ですね、藤本タツキさん。

けっこうクセ強めな作者としても知られています。

 

一言で言うと、創作する喜びについて話している作品でした。

たった一人に向けて発信することの重要さ、すごさをひしひしと感じられると思います。

そして、最高でした。上映時間58分と、1時間もない作品なので、ぜひご覧ください。

僕のまわりにも結構おすすめしてまして、情報発信している人もこれから見る人増えるんじゃないかな。と。

あらすじ

以下、がっつりネタバレです。

 

漫画家になろうとする、藤野という少女と、絵がめちゃくちゃうまい京本の物語です。

藤野は小学生の時に、学年新聞に毎回四コマ漫画を載せてもらっていた。

クラスのみんなからも「すっごく面白い」「絵うめー」と絶賛されているのです。

 

でも、ある時、京本という不登校の女の子も
四コマ漫画を載せました。

京本、めちゃくちゃ絵が上手い。

その絵を見て、藤野は絶望します。

「うわ、これアカンやつ…負けた」と。

さらに追い討ちかけるように「京本の絵と並ぶと藤野の絵ってフツーだな」とクラスメイト。

この言葉を、何度も何度も藤野は思い出し、自信をなくします。

 

これは、誰もが学校という場所で、一度は感じたことがある絶望の描写です。

運動ができる、スポーツができる、頭がいい、体が大きい、いい子だ。

そんなことを親に言われながら育ったとしても、いずれ社会に出ると、こうした自分より優れた存在と比較されて”現実”にぶち当たって、自分の才能にフタをしていく。

 

でも、京本は不登校で学校に来ないあいだにずっと絵を描いているからうまいんだ。と
さらに猛特訓をすることで京本に勝とう。ってするんです。

 

それから小学校4年から6年になるまで
死に物狂いで絵を描き続ける藤野。

僕たち視聴者には、藤野がずっと絵を描く背中が見せられ(題名ルックバックの意味の1つでもあります)、
机の横には時とともに大量のスケッチブックが重ねられて置かれていく。

 

京本は、自分の才能を疑わないわけです。

世界で自分より絵が上手い同年代がいてたまるかよ!と。

何かをクリエイト、創造する人って、こういった無敵感を持っていますし、持っているべきなのです。自分の作品が一番じゃい!という。

 

しかし。

もう特訓をして、小学校6年の学年新聞を見たら、久しぶりに京本の四コマ漫画が載っています。

藤野の四コマ漫画の横には、さらに圧倒的画力になっていた京本の四コマ漫画が並んでいました。

思わず、藤野は絵を描くことをやめてしまう。
完全に、才能が違う。絶対勝てないやん。って思っちゃうんですね。

 

左が藤野、右が京本です。画力がちげえ。

 

ここまではまあ、努力したことがあれば、誰にでもあるよね。っていう感じです。

地元では野球めっちゃうまいって言われてたけど、名門高校いったら、ベンチ入りすらできない。なんじゃこれは。。みたいな絶望感です。

 

しかし、そんな中です。

ひょんなきっかけで藤野は、不登校の京本の卒業証書を自宅に持っていくことに。

藤野からすると、自分の学校のなかでの唯一のアイデンティティであった”絵が上手い”という人格を失うきっかけになったわけですし、「いや、なんであんな奴の卒業証書を、私が、、、」って感じしぶりますが

一緒に四コマ描いてたよしみでさあ・・・と担任に説得されます。

 

で、藤野は京本の家にイヤイヤながら卒業証書を持っていくのです。

チャイムを押しても返事がないので、部屋まで持っていく藤野。

すると廊下には、藤野が描きまくり積み重ねてきたスケッチブックの、何倍、いや何十倍ものスケッチブックが。

小学校6年間、いや人生の全てを捧げて絵を描いて描いて描きまくってきた京本の努力量に、藤野はさらに絶望します。

そして自分としては到底満足できない差があると、受け入れられない現実ではあるものの、落ちていた紙に四コマ漫画を描いた藤野。

内容は引きこもりの京本死んじゃえ!という、負け惜しみ100%のくだらない四コマ漫画です。

 

 

この苦し紛れの攻撃をしたことに

なにしてんだ私・・・と完全敗北と、自己嫌悪を感じる藤野。

 

すると手が滑って、京本の部屋のドアの隙間から、その四コマ漫画が入っていく。

うわ、まずい!京本が見ちゃうやん!そう思った藤野は走って逃げる!

 

藤野にとっての晴天の霹靂

しかし、四コマ漫画の画力や作風から藤野がきてくれた!と確信する京本が、ダッシュして追いかけてくる。

 

「藤野先生ぇ!!」

「私っ!!藤野先生のファンです!!サインください!!」

「6年生になってからはどれも紙的に面白かったです・・・!(中略)藤野先生は絵も話も5年生ごろからどんどん上手くなっていって私確信しました・・・!藤野先生は漫画の天才です・・・!」

「それなのにどうして・・・どうして6年生の途中で四コマ描くのをやめたんですか?」

と京本。

 

ここで、この京本の一連の言葉で、藤野の世界がガラッと変わります。

自分は画力では京本にまったく敵わないし絵をやめよう。と思っていた。

にもかかわらず、とうの京本が自分の漫画を天才だ、楽しみだったと言ってくれている。

 

そして藤野はこう言います。

「ていうか今漫画の賞出す話考えてて ステップアップする為にやめたってかんじだけど?」と。

「話できたら見せに行ってあげる・・・」と言ってスタスタ帰る藤野。

 

帰り際、土砂降りの雨の中、

藤野が喜びを爆発させてスキップして帰ります。

 

このシーン、良すぎる。最高。

今まで自信を打ち砕かれ、親にも姉にも反対され続け、同級生からは見放された自分の漫画が、実は面白いと思ってくれる人がいるんだ。喜んでくれる人がいるんだ。私は、漫画を描いていいんだ。私も天才だったんだ。という希望に一気に変わった瞬間を、描いています。

 

この自分の中に立ち込めていた暗雲を一気にぶっ壊してくれる京本の一言に出会った時の、この希望感、見事に表現されています。

 

その後、仲良くなり、共に漫画を描く二人。

藤野の脚本作りと、京本の圧倒的背景の画力でどんどん頭角を現し、連載デビューを勝ち取ります。

 

その時、京本が不意に「美大に行って絵が上手くなりたい」と言います。

藤野はとうていそんなのは受け入れられず、苦し紛れにいろいろ言ってしまいますが、結局は京本のもっと絵が上手くなりたいという気持ちには勝てず。

京本は、美大に通います。

 

漫画家デビューして黙々と連載で描き続ける藤野。

連載人気ランキングも上位を取れるようになり、単行本も30巻に。長期連載の大人気漫画家の一人になります。

二人の人生は交差することなく、数年がすぎます。

 

そんな時、あるニュースが藤野の耳に入ります。

京本が美大で、狂人によって殺害された。というニュースが。

俺の作品パクりやがって!というヤバいやつが無差別に攻撃をしたのです。

(これはたくさんの犠牲が出た京アニ事件について言及されているシーンでもあります)

 

連載中の漫画を休止し、京本の葬式に出る藤野。

自分が漫画の世界に京本を呼ばなければ、美大に行くのを止めていれば、と後悔の念が止まらない。

 

しかし、いくら後悔しても京本は帰ってきません。

そんななか京本の家に行き、自分が以前、京本に描いた四コマ漫画を破り捨てます。

 

ここから先はifの世界。ここの描写も素晴らしいので、ぜひ映画で見てください。

もし、自分と京本が出会わなかったら、どうなっていたんだろう?という藤野の願望の世界。

でも、その世界でも、同じように京本は同じ美大に行って、同じように絵を描く。

 

結局、自分が止めようが止めまいが、どのみちクリエイターになっていたんだ。だからそんなに自分を責める必要はない。(ルックバック=後悔する必要はない)

という、京アニ事件に対しての漫画家だからこそのレクイエム的な要素もあり。

 

あと、最後の最後に、失意のドン底にある藤野は、自分が漫画を描く理由を見つけます。

それは、京本の笑顔。結局、そこでした。

 

ただ漫画を描いて、京本が笑ってくれたり、

ただ一緒に絵を描いて、夢を語っていたあの瞬間が、たまらなく楽しかった。と。

 

これこそ、自分にとっての創作の喜びだったのだ。と

藤野は気づき、また漫画を描き進めます。

 

というところでエンドロールへ。

タイトルのルックバック(look back)は

Don’t look back in anger.というオアシスの名曲にかけられていてます。

 

この辺の考察はネット上にいろいろ落ちているので、そちらにお任せするとして、

結局、漫画の作者としての藤野のモチベーションは、

ただ京本に喜ばれたい。というピュアな気持ちでした。

 

これが物語において一気通貫していて、最後、京本は失ってしまったものの、

藤野は描き続けることを選択します。

 

考察

実は京本は画力が高かったが、本物の才能というのは藤野にこそあって、彼女は漫画の天才だった。

ただ京本より画力が高くない。という一点において、藤野は漫画家になることを諦めようとしました。

 

つまり小6の藤野は、いわゆる世の中の評価を重要視したわけです。

しかし、そこからすぐに価値観が一変します。

 

京本が、自分を漫画の天才と言ってくれた。

ただこれだけで、藤野が世間を気にしなくなるには、十分すぎるほどの報酬でした。

そしてこの”京本の笑顔”は物語の一番最後まで、藤野が漫画を描く理由としてずっと一貫して存在します。

 

こういう、才能はあるし、努力だってしているのに

絵がうまくないから、と作品作りを諦める。みたいな事例って結構あります。

 

例えば、僕とかもYouTubeは全く編集していないですし
喋ったらそのまま動画を載せていますが、

これだって編集至上主義の人たちからしたら

「おいおい、動画のど素人が編集もしていない素人動画あげてんじゃねーぜ!」

って叩いてきたりとか全然あります。

 

でも、別にこちとら編集で売っていないわけです。

編集のプロでもない。

 

こちらは物語や情報の質で価値提供をしているのであって、
それ以外のところはプロではないので、仕方ないのです。

それよりも、そんなことを気にして

作品を出さないことの方が、ある意味、よっぽど罪深い。と考えます。

 

だって、僕がブログを書いたり、
YouTubeで話していて、人生が変わった。という人がたくさんいる中で、

それを編集ができないから。くらいで辞めていたら
これから出会うはずだった人たち、これから人生変わるはずだった人たちが変わらなくなってしまう。

これが一番の機会損失だと思いませんか?

僕はそう思います。

 

僕がたまに批判される程度のことで
救われる人生があったり、変わる人生があって
まわり回って世界が少しでもよくなるなら、全然それでいいです。

 

だからこそ、どんどん発信していった方がいいし

別に万人受けを狙わなくていい。最初は。

 

そういう表現の部分は、どんどん上手になっていくので、
あまり最初から気にしすぎないことです。

 

藤野も、その「世間の常識的な批判を間に受けること」を捨てたから大漫画家になったのです。

 

これは全ての創作者にとって
とても希望になる話だったし、結局は書け。って話で。

以前ブログに書いた、かくかくしかじかにも通じるものがある名作でした。

ルックバックを見て、どう生きるか?

さて、僕たちにとって、ルックバックでの学びというのはどう活かされるべきか?について最後すこし話しておきたいな。と。

 

ルックバックで語られている創作の喜びは、あくまで個人的で、とても独断的な「天才だよ」という京本の一言によって、世界が変わっていきました。

なんなら漫画を描くことをやめようとしていたわけです、藤野は。

 

にもかかわらず、自分がすげえって思っている絵描きが、「いやいやあなたの方が天才だよ。すごいよ。もっと読みたいよ。」と言ってくれた、ただその言葉によって救われ、漫画を描き続けプロになったのです。

最初は、大いなる勘違いで突っ走ればいいのです。

 

これは今やSNSやYouTubeなどで気軽に発信ができるようになった現代においても、同様のことが言えます。

SNSやブログ、メルマガなどを使った副業やビジネスを僕は教えていますが、モチベーションが沸かない。とか何を書いていいか分からない。っていう人、意外に多いです。

 

これ中級者とかでも多くて、コンサル生を取っていたり、教材をたくさん売ってきているにも関わらず、読者の顔が見えていない。

月収100万とかになってみて、満足してその後行動できません。私は何をモチベーションにやっていけばいいんでしょ?みたいな人もめちゃいます。

いやいや、もっと勉強することはありまして、100万って経験とか知識に使ってたら、あっという間になくなっちゃうから、悩んでいる時間すらない。というのが僕の感覚ではあります。

 

発信において、あなたにとっての京本 (1人目の大ファン)って誰がすぐ浮かびますか?

ここが決まっていると、とても強いです。

 

これは過去の自分でもいいです。つまり、過去の自分が見たらめちゃくちゃ感謝するような、有益な情報を発信するとか。ネガティブな人だったのなら、元気になるような言葉をかけるとか。

もしくは大切なお客様、でもいいです。今すでにお客様がいるのであれば、その中でも特に価値観があったり、話していてオモロいな。もっとこういう人と関わりたいな。って思う人向けに発信をしていけばいいのです。

大切なお客様から、逆算して発信をしていく。すると、その方に近い価値観を持った人が集まってきやすくなる。というのもあります。

 

もし、誰もまだお客さんいねえ、、、っていう人は、あなたが影響を受けてきた人のマネして発信するとか。そういうのからでもいいです。

最初の大ファンが、自分自身であってもいいです。他の人がなんと言おうと、自分のこの作品、この発信はめちゃくちゃ面白いぞ。なんで世の中はついてこれへんねん?っていう感覚を持って、突っ走れるか?これ超重要ポイントです。

それくらい自分が感じたことやオモロいと思ったこと、価値観やら、学びになることを話す。そうしたらファンは増えてきます。

 

大事なのは何を話すか?もですが、なぜ話すか?

何を、なぜ発信するか?です。

 

ここの部分が定まっている人の発信は、一貫性があるし、基本的に面白いはずです。

そんな発信における基礎中の基礎であり、非常に重要なピースであることを、ルックバックは

僕たちに教えてくれる。そういった作品でもあります。

 

誰だって絶望ってあります。

僕にも、あります。

 

同年代や先輩経営者がすごすぎて絶望したことなんか、何度だってある。

なんなら自分より年下でも、すげーな。って思う経営者なんか、山ほどいます。

そういう人に出会って、絶望して、

 

でも自分にできることってなんなんだ?

今できるのに、すげー人がいるから、、、とフタしちゃってることってなんだよ?

今すぐできるのに、サボってるだけやんけ。今やれること、やれ。

目の前の人、喜ばせてんのかよ?

 

こうやって、自分のケツ叩きまくって、自分にできることを積み重ねまくってきたら

いつの間にか1セールスで1億とか、年収が3億とかになりました。

 

結局、すげー人見つけて自信失うとかって無意味やし、

絶望くらっても全然いいので、それでもできることから積み重ねること。

これしかできないし、これやってたらいずれぶち抜ける時がやってくる。

 

そういうもんです。

自力つけている時って、超地味な努力です。

 

藤野も小4から2年間、死ぬほどの努力をしましたが

それでも京本に画力では勝てなかった。でもいいんです。

藤野には漫画の才能があったから。

 

オモロいストーリー作ってそれを世界に広げる能力には長けていた。

京本に対して、画力の才能では劣っていたかもしれないけど、

トータルで勝ってるところだってあるし、それは京本が誰よりも楽しみにしてくれている。

 

そこを無視して、自分の才能や能力のなさだけに打ちひしがれるのは

めちゃくちゃもったいないよな。と、そう思うのです。

 

誰だってなんかしら才能ある。やれることやっていきましょう。

この作品からはそんなメッセージ感じます。

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